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オーストラリアンフットボールとは?
 オーストラリアンフットボールは、オージールールズ、また日本ではオージーボールとも呼ばれるオーストラリア式のフットボールで、オーストラリアでは最も人気のあるスポーツです。ビクトリア州を中心に、アイルランドの伝統的なスポーツであるゲーリックフットボールを基にルールが作られ、1857年からプレーされるようになりました。今日では、このオーストラリアンフットボールは、シーズンである冬の間には全国で試合が行われるまでになっており、毎年9月には、メルボルンのクリケットグランドに 10万人以上の大観衆を集めてグランドファイナルが行われます。オーストラリアで最も規模が大きく、最も古い歴史を持つスポーツです。
 サッカーのように走り、ラグビーのようにタックルし、バスケットボールのようにドリブルし、バレーボールのようにジャンプ。スピーディな展開とダイナミックな個人技でオーストラリアでは不動のNo.1スポーツとして知られているのです。いわば世界で最も激しい球技といえます。

 現在は16チームで構成され、コカコーラ、カンタス航空、ケロッグなどのグローバル企業はもちろん、トヨタ自動車、コニカミノルタ、富士重工、ヤクルト、マツダ、三菱自動車、アシックス、シャープなど、 数々の日本企業もAFLおよびチームスポンサーとしてオーストラリアンフットボールをサポートしています。

オーストラリアの人口、2,000万人のうち、約35%の700万人が各種スポーツに取り組んでいると言われていますが、2003年にAFLが行った調査によると、その内の6%にあたる44万人がオーストラリアンフットボールに取り組んでいます。13歳~18歳のユース世代においては、その内の約20%の9万人が、地域クラブや学校においてオーストラリアンフットボールに取り組んでいます。1990年にAFL(Australian Football League)が設立されました。
オーストラリアンフットボール誕生の歴史
 誕生は1858年、メルボルンのクリケット選手達が伝統的なアイルランド式のフットボール(ゲーリックフットボール)をもとに、オフシーズンとなる冬場のトレーニングの一環として始めたことが起源です。それが発展し1870年代にほぼ現在と同じルールが出来上がりました。
オーストラリアンフットボールのルール
 オーストラリアンフットボールのグランドは特徴的であり、長直径165m~180m、短直径137m~150m楕円形になっています。その両端にはそれぞれ4本のポールが立っています。中の2本の間にボールを蹴り込めばゴールで6点、外の2本の間に蹴り込めば"ビハインド"と言って1点得点することができます。この大きなグランドに1チーム18人、計36人もの選手が出て戦います。ボールは皮製でラグビーボールと同じように楕円形をしていますが、ラグビーのものよりひとまわり小さくなっています。ゲームは、1クォーター25分4クォーター行われます。ゲームの開始はセンターサークル内で審判がボールをグランドに叩きつけ、バウンドしたボールを奪い合って始まります。
 パスの手段としてはキックとハンドボールというものがあります。ハンドボールといっても投げることは反則で、ボールを片手にのせ、もう一方の手で拳を作り、パンチして飛ばすのです。オーストラリアンフットボールはキックとハンドでボールをつなぐ事がゲームの基礎となっています。ボールを持って走る場合には15mおきに地面にボールをつけドリブルしなければなりません。キックされたボールを、ノーバウンドで取ることができると"マーク"となります。マークを取ると、プレーヤーはその地点からのフリーキックか、試合続行かを選ぶことができ、大変有利になります。そのため、試合中は、このマークを得ようとして激しくぶつかり合う場面がよくあり、どんなマークの取り方をするかが、見所の1つなのです。特にゴール前でのマーク合戦は見ものです。
 オーストラリアンフットボールはキックでどんどんゴールに向かっていくゲームなので、展開がスピーディでありプレーするには異常なスタミナを要します。さらに、相手にタックルをし、それに耐えなければならないため、肉体的な強さも要求されます。
日本オーストラリアンフットボールの沿革
1986年 ○TBS、テレビ朝日にて初めてオーストラリアンフットボールが紹介される。
○11月3日(文化の日)、日本初のオーストラリアンフットボール公式戦が開催される。

 Hawthorn vs Carlton@横浜スタジアム

 Player:両チーム15人制+交代枠5人
 グラウンド:人工芝
 Hawthornが圧勝。
 BOG:Robert Dipperdomenico。
 イベント主題歌:J-WALK
 実況:古館伊知郎
 解説:松尾雄治。
 Hawthorn/審判団通訳:飯田健夫(前JAFA会長)
 Produced by フジテレビジョン
 総観客数:約25,000人
1987年 ○10月25日、Hawthorn vs Essendon@横浜スタジアム

 Hawthorn勝利
 観客数:約13,000人
 Produced by フジテレビジョン

 前座試合として初の日本人オージーボールの試合
 慶応大学Hawks vs 早稲田大学Bombers が組まれる

 両大学のメンバーはフジテレビの支援を受けた合宿・試合を実施。
 来日中のEssendonのPaul Salmonが臨時コーチを担当。
 その際Essendonから本番の試合後、日本での練習や試合の発展を願いボールが寄付された。
 後に早稲田大学Bombersは消滅。
1988年 ○在日豪州人チームTokyo Battlersとの定期試合が始まる。
 日本オーストラリアンフットボール協会
 (Japan Australian Football Association:JAFA)が設立される。
○9月、慶應Hawks、初豪州遠征。
 VFLのファイナルシリーズの観戦、HawthornでのAllan Jeans氏によるトレーニング
 セッション、North Melbourneでのトレーニングセッション。最後にSunbury FCの
 U-18と練習試合(初の国際試合)を行う。
1989年 ○4月、専修大学Bombers創部
1990年 ○各大学にチームを持つスタイルから、全ての大学を一つにしたチーム Samurais が誕生
1995年 ○2年に1回オーストラリアの都市Darwinで開催されているArafura Gamesに初参加。総合4位
1997年 ○Arafura Games 1997 総合6位
1999年 ○Arafura Games 1999 総合8位
○Tokyo Gannas(在日オーストラリア人チーム)、Tokyo Go-Kongs(社会人チーム)、
 Samurais(学生チーム)の3つによる定期戦が開始。
2001年 ○大規模な組織改革により代表強化・普及を目的とし、東京にある3チームによる
 国内リーグが発足。
○本国オーストラリア同様、グランドファイナル形式による優勝決定戦。
 年間を通した協会からのAwardなどを組織。
○5月、Arafura Games 2001 4位
2002年 ○8月、AFL(Australian Football League)主催、第1回International Cupに出場。
 総合10位。
2004年 ○AFL(Australian Football League)の傘下に属する。
○日本オーストラリアンフットボール協会、および
 JAFL(Japan Australian Football League)に改名。
○国内大学リーグ:IDA CUP始まる。
 JAFA前会長飯田氏が退き、JAFL会長に山本氏が就任。
2005年 ○会長の山本氏が退き、新会長に宮坂氏が就任。
○5月、ARAFURA GAMES 2005 にて総合2位、初の国際タイトルである銀メダルを獲得。
○8月、AFL International Cupにて9位。

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